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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)830号 判決 1968年3月11日

原告 石井甚太郎

右訴訟代理人弁護士 佐々木良明

被告 大畠建設株式会社

右代表者代表取締役 大畠茂

右訴訟代理人弁護士 大橋弘利

主文

一、被告は、原告に対し、金二〇三、五〇〇円およびこれに対する昭和四一年二月一二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四、この判決は、前掲第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

(請求の趣旨およびこれに対する答弁)

原告訴訟代理人は、「被告は、原告に対し、金一、三五一、四〇〇円およびこれに対する昭和四一年二月一二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

(請求の原因)

原告訴訟代理人は、請求の原因として、次のとおり述べた。

一、原告は、肩書住所地所在の原告所有の建物(以下、原告建物という。)を住宅兼作業場として使用して、洗張業を営んでいるものである。

二、被告は、昭和三九年夏原告建物の敷地から約一米離れた場所の東京都港区麻布谷町二三番地において、鉄筋コンクリート造但馬屋ビル建築工事(以下、本件工事という。)を施工したのであるが、被告は、建築施工者として建築用地附近の地質、地形、建造物の状態などを調査し、建築工事によって隣地建物に対する損害の発生を防止する義務があるにもかかわらず右義務に違反して、慢然と不完全な土留設備のまま建築用地の地盤の掘さくをしたため、その過失により、原告建物敷地の地盤が沈下して原告建物の土台と壁がはずれ、柱が宙に浮き、床は浮き上がり、建物内の大部分の建具が使用不能となり、壁には至るところ亀裂が生じた。

三、原告と被告とは、昭和四〇年五月七日次のとおりの損害補償契約を締結した。

(一)  被告は、但馬屋ビル建築工事によって生じた原告建物およびこれに附属する物件一般ならびに営業上の損害につき、全責任を負い、これを補償する。

(二)  本件工事着工から昭和四〇年四月一日までに原告が受けた建物の損傷については、被告は、昭和四〇年五月三一日までにその修復工事を完成する。

(三)  右修復工事完成後、工事不良、材料不良または、地盤沈下によって再び原告建物に損傷を生じたときは、被告は、即時その修復工事をする。

(四)  被告は、原告に対し、右修復工事期間中原告の営業上の損失につき、一日金四一〇〇円の割合による金員を支払う。

(五)  原告は、被告に対し、昭和四〇年六月一日以降本件工事によって生ずる損害につき、前記(一)と同じ権利を有する。

四、被告は、昭和四〇年五月二三日前記損害補償契約に基き、原告建物の修復工事に着工したのであるが、同年六月五日頃右工事を完成しないまま中止した。

五、原告の蒙った損害は、次のとおりである。なお、後記(二)および(三)はいずれも予見可能な特別損害である。

(一)  原告建物につきなお補修を要する損傷の額金三四〇、六〇〇円(その内訳は、別紙「建物補修工事代金内訳表」記載のとおりである。)

(二)  前記第四項の修復工事中原告家族が親戚に宿泊したため要した交通費金四、四〇〇円

(三)  前記第四項の修復工事が前記約定期日(昭和四〇年五月三一日)に完成しなかったため、原告の妻は旅行できなくなって金六、四〇〇円の旅行積立金が没収されたので同額の金員

(四)  前記第二項の本件工事による騒音、振動、建物の傾斜による営業上および生活上の支障、前記第四項の修復工事の遅延により原告建物に宿泊できなかったことや得意先を失ったこと、さらには、依頼した復元工事をしてくれないために脱水機の取付けを原告自身でせざるを得なかったこと等による原告らの蒙った精神的肉体的苦痛に対する慰藉料金一、〇〇〇、〇〇〇円

よって、原告は、被告に対し、第一次的に不法行為による損害賠償として、また、第二次的には前記損害補償契約の履行として、前記第五項(一)ないし(四)の各金員の合計金一、三五一、四〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四一年二月一二日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する答弁および抗弁)

被告訴訟代理人は、原告主張の請求原因第一項、同第三、四項の各事実はいずれも認め、同第二項の事実については、被告が原告建物の敷地から約一米離れた場所において本件工事をした事実は認めるが、その余の事実は否認し、同第五項の事実は否認すると述べ

抗弁として、次のとおり述べた。

仮に、原告主張の如く、被告の過失に基因して、原告建物が損傷したとしても、

一、原告主張の昭和四〇年五月七日付損害補償契約締結に際し原告と被告との間に、被告が右契約上の債務を負担することによって本件工事に基因する被告の原告に対する一切の責任は消滅するとの合意が成立した。

二、被告は、右損害補償契約に基く債務を次のとおり履行した。

(一)  被告は、昭和四〇年五月二三日頃原告建物の修復工事に着工したが、右修復工事に附帯して原告から模様替の要求があり、これに応じたために期日である昭和四〇年五月三一日に右工事を完成することができなかった次第であるから、原告は期日の延期について黙示の承諾をしていたのである。しかるに、原告は同年六月五日頃右工事を一方的に差し止めたが、このことは本件修復工事続行請求権の放棄を示すものである。

(二)  被告は、原告に対し、昭和四〇年六月一四日休業補償費として一日金四、一〇〇円の割合による一二日分金四九、二〇〇円を、同年同月五日宿泊費として金三二、〇〇〇円をそれぞれ支払った。右休業補償費の支払によって原告の休業期間中の営業上の損害についての被告の責任はすべて消滅した。また、右宿泊費には宿泊所に至る交通費も含まれているのであるから、右宿泊費の支払によって交通費についての被告の責任も消滅した。

(抗弁に対する答弁)

原告訴訟代理人は、被告主張の抗弁第一項の事実については原告と被告とが昭和四〇年五月七日付損害補償契約を締結した事実は認めるが、その余の事実を争い、同第二項の(一)の事実は否認、同第二項(二)の事実のうち、被告主張の如き金員の支払があった事実は認め、その余の点は争うと述べた。

≪証拠関係省略≫

理由

一、原告が東京都港区麻布谷町二二番地所在の原告所有の建物を住宅兼作業場として使用して、洗張業を営んでいること、被告が昭和三九年夏原告建物の敷地から約一米離れた場所の同所二三番地において但馬屋ビルの建築施工をしたこと、原告と被告との間で昭和四〇年五月七日原告主張の如き損害補償契約が成立したこと、被告が昭和四〇年五月二三日前記契約に基き原告建物の修復工事に着工したが、期日である同年五月末日までに右工事は完成せず、同年六月五日頃被告が右工事を完成しないまま中止したこと、被告が前記契約に基き、原告に対し、昭和四〇年六月一四日休業補償費として一日金四、一〇〇円の割合による一二日分金四九、二〇〇円、宿泊費として金三二、〇〇〇円をそれぞれ支払ったこと、以上の各事実については、当事者間に争いがない。

二、そこで、原告主張の被告の過失による原告建物の損傷の有無の点について判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、被告が本件工事着工前に本件工事の基礎工事設計の資料を得る目的をもって、訴外基礎工業株式会社に依頼して右工事用地の地質調査をしたこと、その結果によれば右用地附近の地質は上層部一・二米は軟弱な埋立地であり、地下一一・一米附近までは粘着力の小さい多量の腐蝕物の混入している軟弱な地層によって構成されていること、他方、原告建物の敷地は本件建築用地より約一米高くなっており、右両地の隣接境界の石垣および原告建物の基礎がともに不安定な構造であったこと、被告は右事情を認識していたのでシートパイル工法を採用したこと、しかるに被告がシートパイルを打ち込んで地盤掘さくをはじめた昭和三九年一〇月三日頃から原告建物が著しく傾斜しはじめたので、原告が被告の現場責任者柴田秋夫に被害の状況を報告したところ、同人が応急の措置として原告方の洗場をセメントで固め、土砂の崩壊を防ぐためシートパイルの間に約一五糎角の木材を渡したこと、昭和四〇年五月二三日頃には原告建物が本件建築用地側に最大約三〇糎の地盤沈下を生じ、そのため原告建物は本件建築用地側に傾斜し、壁には亀裂が生じ、建具のたてつけが悪くなったこと、以上の各事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

右認定の事実を総合考察すれば、本件の如き、軟弱な地盤の上にある基礎の不安定な建造物の約一米の至近距離において地盤掘さく工事を行う場合においては、地下水位の低下、土砂の崩壊等により地盤沈下を生ずるおそれがあるから、かかる場合には、建築施工者は、地質、地形、建造物に応じた十全な予防措置を講ずべき義務があるところ、被告において単にシートパイル工法を採用したのみにとどまり、不安定な石垣や基礎の上に建つ原告建物に対するさらに適切な予防措置をとらなかった過失により、前認定の如く、原告建物が傾斜し、壁には亀裂を生じ、建具のたてつけが悪くなる等の損傷を生じたものと推認し得る。

三、そこで、原告主張の建物についての損害額の点について判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、原告は、前認定の本件損害補償契約に基き、昭和四〇年五月二三日から原告建物の傾斜による損傷の修復工事に着手し、原告建物の揚げ下げ工事をして、土台としてコンクリート基礎をいれ、はがした床や壁の一部の修理等もしたけれども同年六月五日頃工事の中止をしたため、修復工事が完全にすんでいるわけではないこと(もっとも、本件修復工事に基く右工事の着工および中止の時期の点については、前叙のとおり争いがない。)、そして、右修復工事後も、唐紙と鴨居との間や勝手口の引戸と鴨居との間に隙間が生じていたり、硝子戸の締り具合いが悪い等建具のたてつけの悪い個所のあること、便所、階下二畳間、階段部分、二階廊下部分等の壁には多少、脱落した部分や亀裂個所や鴨居との間に隙間のある個所のあること、しかし、他面、原告建物は、元来、昭和二〇年代頃(但し、二階部分は昭和三二年頃)建築された木造モルタル(一部木造縦羽目)二階建で建築後相当年数を経過したものであることが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

以上認定の事実によれば、被告による原告建物の修復工事は全部完了したとまではいえないまでも、本件建築工事用地側に傾斜した原告建物を水平に戻すいわゆる揚げ下げ工事は一応完了したものと認め得る。

しかして、前認定の現況の原告建物を完全に補修するためには、≪証拠省略≫によれば、別紙「建物補修工事代金内訳表」記載1ないし14の合計金三四〇、六〇〇円の費用を要することが認められるが、右補修工事によって、原告建物は本件但馬屋ビル建築工事着工前に比較すれば相当改良された結果となることが推認される。ところで、本件損害補償契約に基き被告のなすべき修復工事中、被告において揚げ下げ工事をなしたが、修復工事全体としては未完成であることは前認定のとおりであり、≪証拠省略≫によれば、その未完成部分は、主として、壁の修復、ペンキ塗装ならびに建具のたてつけ直し等の仕上げの未了であることが認められる。しかして、以上の如く、前記補修工事金三四〇、六〇〇円のうちには、修復のみならず改良にわたる部分の費用も含まれていること、他面、被告にも本件損害補償契約に基く修復工事中前認定の如き未了部分の残存していること等の事情を彼此勘案するときは、原告建物の損傷についての修復工事未了分に対する損害額は合計金一〇三、五〇〇円と認定するを相当とすべく、被告は右損害額と同額の賠償金を、すでになした修復工事分のほかに、原告に対して支払うべき義務がある。

四、次に、原告主張の特別損害としての交通費および旅行積立金の点については、原告の主張にそうが如き、甲第二号証の記載や証人石井弘志の証言があるが、いずれも右特別損害に関する的確な証拠とはなし難く、他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

五、更に、原告主張の慰藉料の点について判断する。

被告は、昭和四〇年五月七日の原、被告間における本件損害補償契約の成立によって本件但馬屋ビル建築工事に基因する被告の原告に対する責任の問題のすべてについて合意がなされたのであって、右合意によれば、原告は、物的損害の賠償を求めているのであり、精神的損害たる慰藉料の請求をしない趣旨であると、主張するものの如くである。

なるほど、成立に争いのない甲第一号証には、直接、慰藉料に関する条項の記載がないが、さればといって慰藉料を放棄するとの記載もないのであって、却って、証人石井弘志の証言によれば、法律については素人の同人が甲第一号証の原案を作成した関係上、慰藉料の点に思い及ばなかっただけのことで、慰藉料の請求を放棄した趣旨のものではないことがうかがわれるから、被告主張の抗弁一は理由がない。

そこで、案ずるに≪証拠省略≫を総合すれば、原告方では、昭和三九年一〇月三日頃から昭和四〇年五月二三日頃まで前認定のとおり傾斜した原告建物に居住して不快な生活をせざるを得なかったこと、修復工事中の昭和四〇年五月二三日から同年六月五日頃までは家族の一部を自宅に宿泊させることができず、不自由ではあるが、やむなく、親戚の家に宿泊させるに至ったこと、また修復工事遅延のため有力な得意先を何軒か失ったことにより、経済的のみならず、精神的な打撃をも蒙ったこと等の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。しかして、右認定の事実を総合して考察するときは、原告の精神的肉体的苦痛に対する慰藉料額は金一〇〇、〇〇〇円を相当とする。

六、なお、被告主張の抗弁一の理由のないことは、前叙のとおりである。

七、また、被告は抗弁二の(一)として、本件修復工事は昭和四〇年六月五日頃原告の一方的な工事差止めによって中止させられたのだから、原告は同日以降本件修復工事の続行請求権を放棄したものであると主張するが、被告の右主張にそう証人古田土吉夫の証言は証人石井弘志の証言に照らして措信することができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

八、次に、被告主張の抗弁二の(二)について判断する。

原告が被告主張の各金員を被告から受領した事実は原告の認めるところであるが、これのみをもって被告の全責任が消滅したものとみなすことのできないことは、前説示によって明らかであるから、被告の右抗弁も結局は採用するに由がない。

九、よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の第一次的請求たる不法行為を請求原因とする本訴請求のうち被告に対し、金二〇三、五〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることの明らかな昭和四一年二月一二日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるから、これを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 関口文吉)

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